伝説の”レインボースーパーざかな”

好きな本や音楽のこと、日々の暮らしを気ままにつづる雑記ブログ。

【おススメの本】『人生はあきらめるとうまくいく』ひろさちや~楽になる考え方を紹介

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突然ですが、日々の暮らしの中でどんなことにストレスを感じるのか、

考えたことってありますか?

 

なかなか自分を客観的に見つめる機会ってないのですが・・・

 

僕は以前そうした振り返りをして驚愕した覚えがあります。

 

なぜなら・・・

 

  • 仕事で失敗をしたとき
  • いやーーな仕事をしなきゃいけいないとき
  • 仕事のプロジェクトで不安を感じたとき
  • 仕事で業界の将来性が見えないとき

 

 

などなど、僕がストレスを感じていたのは

「仕事」に関することがほとんどじゃん!

ってなったから。

 

僕は、なぜこんな風に仕事に対して不安を感じるのか?

 

そのときよーく考えてみました。

 

すると、

 

「自分が仕事に対して高く目標を持ちすぎていること」

 

が原因だということに気付きました。

 

仕事に対して目標を持ち、自分にノルマを課してがんばってきたのですが、それが、いつのまにか「しんどい」というレベルにまでなっていたのです。

 

もう少し言うと・・・

 

「自分」と「仕事」を同期させすぎていた、

 

とも感じます。

 

本当なら自分の周りには仕事以外にも、「自分のしたいこと」や「家族」、または「友人関係」などさまざまなファクターがあります。

 

そうしたいろいろな「顔」を持っているにもかかわらず、仕事を第一としすぎたために、自分=仕事 みたいな錯覚を持ってしまっていたようです。

 

そこであるときから考えを変えました。

それは・・・

 

「期待しないこと」

 

 

今回たまたま手に取ったこちらの本。

 

 

人生はあきらめるとうまくいく

人生はあきらめるとうまくいく

 

 

 

僕がここ数年ずっと考えてきたことの答えの一つがあった気がして、

読んだらとても気が楽になりました。

 

もし自分の人生にすこーーし「行き詰まり」を感じているならば、

手に取ってみてはいかがでしょうか?

 

今日はカンタンにこの本の”読みどころ”を紹介していきたいと思います。

 

「がんばる」ことと「あきらめる」こと

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この本では「がんばる」ことに対して、

 

ひたすら「あきらめる」ことを薦めています。

 

なぜか?

 

がんばることは、欲望を大きくしていき、

「終わり」がない

 

それに対して、

 

あきらめることは、欲望を少なくして、

ストップをかけることができる

 

からです。

 

がんばる方向には、「幸福の公式」があります。欲望を充足させることによって幸福になれるという考え方です。年収1千万円欲しいと思っている人は、1千万円得られるようになったら幸せになれると思っています。

~中略~

しかし、1千万円欲しいと思った人が、1千万円得られるようになったとき、ああよかった、じゅうぶんだ、とは思わないでしょう。昔は1千万円欲しいと思っていたけれど、今は1千万円ではダメだ。せめて3千万円くらいないといけない、と考えるようになります。

出典:「人生はあきらめるとうまくいく」 ひろさちや著

 

「がんばる」ということは、ある種「自分の欲望を充足させること」です。

 

しかし、がんばった結果たまたま物事がうまくいって「欲望」が一つ叶えられたとしても、次にはまた新たな「欲望」が生まれてくる・・・なので終わりがない、というのが著者のひろさちやさんの主張のポイントです。

 

確かにそうかもしれません。

 

「物欲」「金銭欲」・・・何かを得る欲が一度立ち上がってしまうと、それを抑えるのはなかなか大変なことだと森野も実感しています。

 

 ではあきらめることはどういうことか?

 

では、次に「あきらめる」側の幸せの公式について考えてみましょう。

もう、これしかありません。「少欲知足」、あなたの持っている欲をほんのちょっと少なくしなさい。そして「足るを知る」心を持ちなさいということです。

少欲とは、少ない欲ではありません。形容詞ではなく、少なくするという動詞形。

欲望は常に増えていくという性質がある。だからそれを少なくする。そうすると、幸せはすぐに得られます。ほんのちょっと少なくすればいいのです。幸せを感じる総量(分母)が少なくなればいいのですから。

出典:「人生はあきらめるとうまくいく」ひろさちや著

 

そう、「欲を少しだけ少なくする」ということですね。

 

人は欲張りなのでほおっておくと

どうしても「欲が増えていく」。

 

それをゼロにすることはできないから、

意識的に「少なくする」努力をする。

 

こういう自分の欲を突き放して客観的に眺めること。

 

これが「あきらめる」ことだとひろさんは言うのです。

 

著者のひろさちやさんって?

みなさんは著者のひろさちやさんのことをどれぐらいご存じでしょうか?

 

僕は仏教系の宗教評論家ということは知っていましたが、

それ以上のことは特に知らず・・・

 

dot.asahi.com

 

こちらの記事によると・・・

 

大正大学の客員教授として教鞭をとりながら、自身「仏教原理主義者」と名乗り、

本来の仏教の教えをわかりやすく解説する活動をなさっている、とのこと。

 

書店でよく見かけますが、

そんな立場から宗教のことについてさまざま論じられているんですね。

 

ちなみに、ひろさちやさんは東大文学部・印度哲学科の卒業。

 

ご自身「あきらめること」の大切さを説いていますが、

一方でご自身の経歴は見事、そのもの。

 

めっちゃがんばってる人生じゃないか!

 

と思いがちですが、

これがこの本を読み解く一つのキーワードになる、

と森野は思いました。

 

この本の中で触れられていますが、

ひろさちやさんは、学生時代は抜群に成績がよくまさに優等生だったそう。

 

しかし高校2年生のとき、

「自分はなんのために生きているんだろう?」と自分の人生に疑問を持ち、

学校の勉強は一切やらなくなってしまったそうです。

 

その代わり英語の原書を読んだりドイツ語を学んだり、

ユークリッド幾何学を勉強してみたり・・・

 

とにかく

自分の好きなことだけ一生懸命やったと言います。

 

もちろん成績はがた落ち。それまで学年トップクラスだった成績は、

高校3年生のときには200番台まで落ちてしまったそう。

 

そしてそろそろ大学の進路を決めるときのエピソードが書かれています。

 

三年の秋に、担任の先生が私に「お前、どこを受験するんだ?」と聞いてきました。私は「東大受けます」と即答。先生だけでなくクラスじゅうが大爆笑です。「絶対受からへんからな」と。

「そりゃ、とおらへんのは知ってます。どこを受けて落ちるかが問題で、東大に落ちるなら格好いいでしょう」

最終的に、無駄な勉強がいきたのか、現役で東大に受かったのですけど。

出典:「人生はあきらめるとうまくいく」ひろさちや著

 

そう、そんな学校の成績では落ちこぼれだったにもかかわらず、

結局、

現役で東大に受かってしまったのです。

 

これを「元々頭がよかったから」と片づけてしまうのは、

あまりにももったいない。

 

たしかにひろさちやさんは頭がよかったのでしょう。

元々学年トップクラスの成績をおさめる頭脳があり、

その上、独学で英語を原書で読んだりユークリッド幾何学を学んだということですから。

 

しかしそうしたことはさておき、

「学年トップクラスの成績を守ることにがんばる」ことをあきらめ、

自分の好きなことに打ち込んだからこそ、

結果として東大に合格した、とも考えることができると思います。

 

つまり、

「自分の好きなことをやった」

それだけのことなんです。

 

これは果たして「がんばる」ということでしょうか?

 

言葉の捉え方もあるとは思いますが、

僕は違うと思います。

 

だって自分の好きなことを無理せず、

好きなようにやっているだけですから。

  

だけど、仕事はがんばらないといけないのでは?

そうはいっても仕事は話が別。

給料もらってんだから、がんばるのが当たり前だろ!

 

という考え方もあるかと。

 

実際この本でもプロ、たとえば職業人は「がんばる」側にいるべきだと説明しています。

 

ですが・・・

 

職業人としての場面では、がんばって問題を解決しなければなりません。でも、自分の人生全体を見渡したら、それ以外の場面がたくさんあるはずです。生き方を選びなさい、と言ったときに、がんばるのはダメだ、職業人ではいけない、とわかると、もう世捨て人になるしかないという勢いで極論に走ってしまう。今、ほとんどの日本人が職業人に重きを置いてしまっているのであれば、その比重を徐々にかえていきましょう、ということです。

出典:「人生はあきらめるとうまくいく」ひろさちや著

 

ひろさちやさんは、この中で職業人でも「がんばる」の比重を少し落とせばいいのでは?と提唱されています。

 

これはまさにその通りかと。

 

僕らは物事を二者択一、ゼロ・サムで考えてしまうことがあるけれど、もっとその境界はあいまいでいい。

 

そのとき、さっき書いた「自分の好きなことに打ち込む」こととあわせるとこういうことも言えるのではないかと思いました。

 

仕事でも自分の好きなことのみ力を入れればいい。

 

仕事にはいろんな側面があります。たとえば仕事が辛い、と一口に言っても自分が苦手な部分と得意な部分があります。

 

その中で自分が苦しまなくてすむ、楽しくできるところは一生懸命やってみて、あとのところはまあ、適当に無理のない範囲でやっておくぐらいの気分でうっちゃってしまう。

 

で、結果に関しては・・・

 

あまり気にしない。

 

・・・

 

無責任ですか?

 

でも、そもそも仕事って「人」対「人」の中で行っていくものだから、不確定要素がいっぱいあります。結論、結果がどうなるか?なんて誰にもわからない部分がある。

 

それを無理して高い目標を立てるから、

自分を追い込むことになるわけです。

 

 

だったらはじめっから過度に高い目標など設定せずに、「今」ある中で自分ができそうなこと、好きなこと、得意なことを一生懸命やるほうがよくはないですか?

 

実際、森野はそれぐらい力を抜いて仕事をしていますが、

 

正直結果は、

 

がんばったころと比べてあんまり変わらない。。。

 

多少は落ちましたけど、まあ、いいかと。

そんな風に思っています。 

 

「人生は無意味、苦しむことが人生」

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そして若い時に誰でも一度は考えたことがあろうテーマ、

「私は何のために生きているのか」

 

ひろさちやさんも高校生のころ悩んだこのテーマ。

彼はサマセット・モームの「人間の絆」の一節からヒントを得て、

こう断言しています。

 

「人生は無意味」

 

「苦しむことが人生」

 

まあ、「人生に意味などない」というのはわかります。

 

人が生まれてくるということは、

「親が生みたい」と思うから生まれるわけです。

 

そこには本人の意思はありません。

 

親が子供の人生に意味付けすることはあるとは思いますが、

子供である私たち本人は、そこに意味を見出すのはそう簡単なことではありません。

 

となると、「人生は無意味」と割り切ってしまうのは合理的なことです。

 

じゃあ、「苦しむことが人生」。

 

これはどういうことでしょうか?

 

ひろさちやさんは仏教の「四苦」から

「過去の苦しみ」「老いて病になる苦しみ」「死への苦しみ」の3つをあげ、

結局、人生は苦しむことだ、という結論を導いています。

 

人は何か辛いことに直面すると、「なぜ私だけこんなつらい目に遭うんだろう?」とか「楽になりたいのに、どうしてこんなに辛いのだろう?」という疑問を抱きがちです。

 

そうではなく、もうはじめっから「人生は苦しいものだ」というあきらめを持っていたら・・・

 

心持ちが楽になりませんか?

 

まとめ

ということでこの本を読んで僕なりに感じたことをまとめてみると・・・

 

  • がんばると「欲が増える」から、欲を減らすために「あきらめる」
  • 自分の好きなことをほどほどにやる
  • 仕事で高い目標は立てない
  • 人生に意味はない 苦しむことが人生 とあきらめてみる

 

 なんかこう書くとネガティブな印象を受けるかもしれませんが、

決してそんなことはありません。

 

むしろこれぐらい自分を突き放して、

フラットに生きていったほうが、

ものすごい「楽」なのです。

 

ということを僕はここ数年で感じました。

 

そしてこの本は、そうした「楽」に生きるヒントがちりばめられていています。

 

もし仕事が辛くて悩んでいる方がいらっしゃれば、

一度手に取ってみてはいかがでしょうか?

 

 

人生はあきらめるとうまくいく

人生はあきらめるとうまくいく

 

 

 

今日はこのへんでおしまいです。

 

しばらくブログを更新していませんでしたが、

また少しずつ記事をあげていきたいと思います。

 

お読みいただきありがとうございました。