伝説の”レインボースーパーざかな”

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沢木耕太郎『危機の宰相』/”所得倍増計画”という名コピーはいかに生まれたか?

危機の宰相 (文春文庫)

 

沢木耕太郎の本が好きで、人生の中でときどき合間を見ては手に取ってきました。

 

社会党委員長の浅沼稲次郎と彼を壇上で刺殺した17歳のテロリスト・山口二矢を描いた『テロルの決算』。

 

ボクサー・カシアス内藤のカムバック劇を描き、自身も裏方としてストーリーに深く関わる『一瞬の夏』。

 

写真家・ロバート・キャパの一枚の写真の真偽を追う『キャパの十字架』やクライマー・山野井夫妻のギャチュンカンの挑戦と挫折を描いた『凍』。

 

沢木さんの文章はどの作品もとても読みやすく、そしてまるでその場面を体験しているかのごとくリアリティある筆運び・・・。

 

どれも文句なく素晴らしいです。彼のノンフィクションを少しずつ読み進めていくのは、人生の喜び。沢木さんの本のおかげで、ノンフィクションが好きになったといっても過言ではない。

 

彼の作品といえばやっぱり『深夜特急』が有名だけれども・・・僕は意外と旅ものは苦手であまり触手が伸びません。たしかこの本も大学時代に途中まで読んでやめてしまった気がします。

 

突然ですが、僕は大学受験のとき日本史を勉強していました。

 

日本の近現代史もけっこう勉強したつもりなんですが、暗記した中でも特に印象に残った言葉が『所得倍増計画』という昭和の高度経済成長期を象徴する言葉でした。

 

『所得倍増計画』・・・すごくないですか?

 

政府が日本人の「所得を倍増」させるという驚愕の計画です。

 

今の時代だったら考えられないですよね。所得を倍にする??どうやって??僕の給料が10年で倍になったら!?・・・いや、たぶん100億年たっても無理だろう。

 

政治の世界にここまで言葉を巧みに使ったキャッチコピーってそうないんじゃないでしょうか?郵政民営化を果たした小泉さんですら、ここまでうまい言葉は発見できなかったと思います。

 ”小泉劇場”より”所得倍増計画”のほうが夢があり、そして日本の先行く方向を見事に示したキャッチコピーです。

 

でもですよ、僕は高校時代この言葉を習ったとき、こんな風に思っていました。「どうせ時代は高度経済成長期でイケイケドンドン。。経済が伸びていくのはわかりきったこと。時代の国民の空気を読んだうまいキャッチコピーを考えたなーー。」ぐらいに。

 

もしかすると読者の方の中にもそう思っている方がいるかもしれません。

 

でも・・・その考えがこの本を読んで、

見事にドンデン返しされました(笑)

 

『所得倍増計画』は時代の異端の考えだった??

この『所得倍増計画』という言葉は、実は、当時の時代の風潮とは必ずしも一致していなかったようなのです。

 

えーと、そもそも『所得倍増計画』って何だっけ?という方のために、この本の帯文を見てみましょう。

 

1960年、安保後の騒然とした世情の中で首相になった池田勇人は、次の時代のテーマを経済成長に求める。「所得倍増」。それは大蔵省で長く<敗者>だった池田と田村敏雄と下村治という3人の男たちの夢と志の結晶でもあった。戦後最大のコピー「所得倍増」を巡り、政治と経済が激突するスリリングなドラマ。 

 

そう、池田勇人首相がその政治政策として提唱しました。10年以内に国民の所得を倍にしようという強烈なスローガンです。

 

1960年というと東京オリンピックが1964年ですから、その4年前。昭和35年。オリンピックが決まり、日本の経済成長がまさにこれから進むぞ!という気分の年だったんでしょうか。

 

この池田勇人という首相には、2人のブレーンがいました。

田村敏雄と下村治という元大蔵省の官僚です。

 

田村は池田の懐刀として宏池会という議員たちの団体をまとめ、さらに池田の金の管理をしていたバックボーンたる存在。

 

下村は確固たる独自の経済理論を持っていたエコノミスト。

 

『危機の宰相』はこの3人の物語が中心になってくるんですが、『所得倍増』という考え方は、この下村の考え方が大きな影響を与えていたようです。

 

しかし・・・さっきも言ったように、この『所得倍増』というキャッチコピーは、そして池田に大きな影響を与えた下村治という存在は、当時の経済界では”異端”であったらしい。

 

「吉野の言う「下村の立場」とは、日本経済は1955年(昭和30年)を境にして復興期から勃興期に入ったのだということを一貫して主張することであった。日本経済には力強い成長力がある。悲観論によって、総需要をいかに総供給の範囲内に抑え込むか、というように問題を立てるのは誤っている。充実した供給力に需要を追いつかせることが政策的に必要な段階にきているのだ、と。しかし、下村のこの発想は、唯一の援軍であった経済評論家の髙橋亀吉が評したように、永く「邪教」と見なされていた。下村や高橋は、経済ジャーナリズムで、ある種の軽侮の念をこめてオプティミスト、楽観論者と呼ばれるようになる。」

 

出典:「危機の宰相」 沢木耕太郎

 

ここにあるように下村治は、昭和30年ごろから高度経済に突入する「勃興期」に入ったと強く主張していたそうなんですが、これが実は他のエコノミストたちからは「邪教」とみなされていた・・。

 

今の僕らから見ると下村こそが正しいんだと理解できるけど、当時の経済界の風潮はそうではなかったんです。

 

こんな風に『危機の宰相』は、池田勇人を描きながらも、当時異端の経済政策を提唱し続けた下村治という存在、そしてその二人を結び付けた田村敏雄というところに沢木さんが注目したところが面白い。

 

実際、沢木さんはこの本でこう述べています。

 

池田の「勘」と下村の「理論」を結びつけたのは田村であり、彼の存在は単なる仲介者という域を超える重要なものだった。この3人の独特な結びつきの中から「所得倍増」は生み出されていったのである。池田が時代の<子>であり、下村がその<眼>であるなら、田村は時代への<夢>そのものであったかもしれない。

 

出典:「危機の宰相」 沢木耕太郎

 

この田村敏雄という人にもまた裏方として駆けずり回った彼のドラマがあります。

 

池田、下村、田村敏雄、『所得倍増』という時代のキーワードは、後付けの言葉などでは決してなく、むしろ先にこの言葉が生まれ時代を牽引していった、時代を先取りした言葉だったんです。

 

沢木耕太郎の独自の視点

こうした沢木さんの「独自の視点」がストーリーの中にはいろいろと練り込まれています。それがゆえに沢木さんの本は面白い。

 

この『危機の宰相』も普通の経済評論とか政治評論と大きく違うのはそこかと。そしてこういう視点が切り込んでくれないと、とかく複雑な話なので、僕みたいな素人は途中でやめてしまうかもしれない。

 

そしてこの本で一番オリジナリティを感じるのは、池田、下村、田村という3人を沢木さんが「敗者」というキーワードで結び付けたところです。

 

実は彼ら3人は元大蔵省の官僚、という共通点があります。

 

しかし3人とも・・・

キャリアの出世街道から「脱落」した3人でした。

 

その脱落せざるを得なかった理由が、3人にはちゃんとあります。

 

「この3人が共有することになる、日本経済への底抜けのオプティミズムは、彼らが共に一度は自分自身の死を間近に見たことがあるということを考えるとき、ある種の「凄味」すら感じさせられる。

 もし彼らのひとりが人生の「ルーザー」でなかったら・・・・・・。歴史に「もし」は無用だと知りながら、その仮定にあえて答えてみたくなる。おそらくは3人が邂逅することもなく、だから「所得倍増」が生を受けることもなかったろう、と。」

 

出典:「危機の宰相」 沢木耕太郎

 

 なぜ、彼らが一度は「敗者」にならざるを得なかったのか・・・。

そこは本書を読んで確かめてください。

 

まとめ

『危機の宰相』は、池田勇人をその中心に置きながらも、田村敏雄の話、下村治の話などが間に差し込まれ、飽きさせないようよく工夫されています。

 

そして沢木さんの綿密な取材に裏打ちされた落ち着いた文章をたどっていくと、自然と、戦後から1960年代、高度経済成長期に差し掛かる日本経済の機運がよくわかる。

 

考えてみると1960年代というのはもう半世紀も前の話なんですが、これを昔話として読むか、現代にも通じる話として読むかはもちろんみなさん次第です。

 

興味があったらぜひ手に取ってみてください。

 

今日はこのへんでおしまいです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

危機の宰相 (文春文庫)

危機の宰相 (文春文庫)