『村に火をつけ白痴になれ』/栗原康~伊藤野枝も著者の書きぶりもムチャクチャな1冊~
すごいタイトル・・・
このタイトルから「どんな本なんだろう?」というわくわく感で手に取った1冊です。
明治から大正期を生きた、伊藤野枝という女性の評伝。
この本、かなりすごい。
伊藤野枝の生き方もすごいんだけど、著者の思い入れもすごい。
文章の書き方、表現がえげつない。
だって表紙を開いた見開きの小見出し、いきなり・・・
『あの淫乱女!淫乱女!』というタイトルで始まりますから。
・・・
・・・・・
びっくりしましたよ。
そして読んでいくと出てくる「セックス」の言葉の連呼。連呼。
何だ、この本は?
・・・
・・・・
でも、もう、これは面白くなるに違いない。
僕はすぐに確信しました。
で実際・・・・面白かったです。
みなさん、でも伊藤野枝って知ってますか?
僕は日本史の教科書でかすかに出ていたのを覚えています。
無政府主義者の大杉栄と一緒になったり、ならなかったり・・・のなんだか思想的にアブナイ系の人なのかなーと思っていたのですが、読んでみたら・・・
かなりぶっ飛んだ人生ですね、
この伊藤野枝さんは。。
だってwikipediaでもこんな風に紹介されています。
ちょっとご紹介させていただきます。
伊藤野枝(いとう のえ、1895年1月21日ー1923年9月16日)は、日本の婦人解放運動家、無政府主義者、作家。戸籍名では、伊藤ノエ。
雑誌『青鞜』で活躍。不倫を堂々と行い、結婚制度を否定する論文を書き、戸籍上の夫である辻潤を捨てて大杉栄の妻、愛人と四角関係を演じた。世評にわがまま、奔放と言われた半面、現代的自我の精神を50年以上先取りして、人工妊娠中絶(堕胎)、売買春(廃娼)、貞操など、今日でも問題となっている諫題を題材とし、多くの評論、小説や翻訳を発表した。甘粕事件で殺害された。
出典:「wikipedia 伊藤野枝」より
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E9%87%8E%E6%9E%9D
不倫を堂々と行い・・・大杉栄の妻、愛人と四角関係を演じた。。。って。
でも、この本を読むと本当にそういうことだったみたいです。
まだまだ封建的な風潮が強い、明治・大正の時代に、これだけ奔放に生きた女性というのは相当珍しいしはずだし、世間の風当りも強かったみたいです。(当たり前か)
ただこの本を読むと、伊藤野枝はそんな世間の風当たりをさほど気にすることもなく、ひょうひょうと自分のやりたいこと、好きなこと、言いたいことだけを追求していたから・・スゴイ!
なんというか・・・僕はこんな人には絶対なれないし、これだけ破天荒な人がいたら周りはさぞ迷惑するので、こういう人のそばには・・・・あんまり近づきたくはない。。
人間ってほんといろんな人がいて、ある種、こういう世の常識と戦える人が、時代を切り拓いていくことになるんだろうなと思います。
今日はこの本を読んだ僕の感想とともに、その読みどころのポイントをご紹介していきます。
親がトンデモ親だった!?
伊藤野枝は、1895年、福岡県の今宿村(現在の福岡市西区)の生まれだそう。1895年というと、日清戦争の翌年、明治28年にあたります。
で、この野枝を生んだ伊藤亀吉という父親がすでに破天荒すぎます。
だって、まったく働かなかったらしいんです。
家族としてはギョエーー(+_+)の一言です。
野枝の家には野枝あわせて7人もの子供がいる。なのに父親がまったく働かない・・・
当たり前ですが、家は極貧だったそうです。
なぜ父は働かないか?
それは働きたくないから・・・。だったらしい。(それっていいんだっけ?)
代わりに母のウメが家事や育児をしながら、働きもする。だけど当然それだけではやっていけず、家は常に食べ物も少なく困っていたそう。
こうした家庭の中で野枝は親戚の家に出されたりしながら青春時代を送ったそうです。
ただこのころ、野枝は読書好きなことから勉学の芽を開花させたようで、学校の成績は優秀だった。特に作文はとても上手だった。
これが後の野枝の活動の礎になっていきます。
「自分のやりたいこと」だけを追い求めた女性
こうした父親の元で育ったからか何なのか、野枝という女性は、自分に嫌いなことは絶対にしない、という強い決意を持っていたということがこの本を読むとよくわかります。
野枝は女学校卒業後、親戚のはからいで裕福な豪農の末松家との結婚が決まっていました。
しかし、野枝はその末松家との結婚が嫌で嫌でしょうがなかったらしく、結婚後わずか9日で家を飛び出してしまい、女学校時代の先生であった辻潤と結婚してしまう。
で、その辻との生活も社会運動家で無政府主義者の大杉栄との出会いによって終わりを迎え、野枝は大杉の内縁の妻となっていく・・・
波乱に満ち満ちています。
という具合に、この時代にあって、いろんな男の間を渡り歩いていく野枝の人生はもう読むだけで面白い。
そして野枝の人生をあおるかのように、「セックス」「セックス」の連呼(笑)
そうした男関係だけ書いていくと、単に当時の封建的な世の中で男関係ですったもんだした女性の話となってしまいますが・・・それは違う。
伊藤野枝のキモは、野枝が辻と結婚するにあたって縁ができた青鞜社との関わりかと思う。
青鞜社は、婦人解放運動のために平塚らいてうを中心として結成され、雑誌「青鞜」を発行し、広く女性の権利を社会に訴えた女性団体でしたね。
僕も歴史の教科書でかすかに覚えていた程度ですが。
野枝は、末松家と離縁をするにあたって、平塚らいてうに助けを求め、その縁から青鞜社の一員として女性解放運動に携わっていくようになります。
この活動を通して、野枝は自身の考えを広く世に訴えていくことになるんです。
伊藤野枝の過激な言論
明治末から大正にかけての世の風潮としては、男性優位の社会であったことは間違いないでしょう。
男が浮気をしても罪には問われないけど、女性が浮気をした場合、それは「姦通罪」にあたることもあったというので。
この本を読むと、野枝はそうした世の中の男尊女卑、男女の不平等への格差に大きな不満を持ち活動していたことがわかります。
たとえば、当時「貞操論争」というすごい名の論争があったみたいなんですが・・・野枝はこんなことを言っていたんだそう。
『在来の貞操という言葉の内容は「貞女両夫に見えず」ということだとすれば私はこんな不自然な道徳は他にあるまいと思う』
『私がもしあの場合処女を犠牲にしてパンを得ると仮定したならば私はむしろ未練なく自分からヴァージニティを逐い出してしまう。そうして私はもっと他の方面に自分を育てるだろうと思う。私はそれが決して恥ずべき行為でないことを知っている。』
出典:「村に火をつけ、白痴になれ~伊藤野枝伝~」栗原康
特に下の文章はすごい。これはおそらく売春のことを指していると思うんだけど、それを全面的に受け入れている。体を売ることは恥ずべきことではないので、処女をさっさと捨てたうえで、他の方面に自分を育てたほうがいいい、とこんな宣言。
こんな考えの人なので、恋愛も自分のいくがままの人でした。
ゴーイングマイウェイ。。
野枝は、先に書いたように夫の辻潤とは別れ、無政府主義者の大杉栄と恋仲になり、結局そのまま内縁の妻状態になります。
そしてそこは普通の夫婦みたいにやることはやり・・・
子供がどんどんできるんですね。
それは別にいいんだけど、僕は子供の名前を見てびっくりしました。
長女の名前は「魔子」・・・なんです。
魔子・・・
子供にその名前はやりすぎだろう、さすがに。。
ほら、昔「悪魔くん」騒動とかあったし。いや、こっちのほうがはるかに昔なんですけどね。
でも、こんな名前だったら昔でも絶対いじめとかにあうよね。こんな名前つけられたら、本人たまったもんじゃないけどな。
って、僕はこの魔子さんに心底同情した。
僕だったら絶対親を恨んで、グレるけど。
その後、彼女はどんな風に生きたのか?幸せな人生を送れたのだろうか?
非常に気になるところである。
というのも、この本はあくまで野枝が主人公。その野枝は関東大震災の混乱の中で、大杉栄と共に憲兵隊の甘粕正彦に引っ立てられ、拷問によって殺されてしまうんです。
なぜって??
夫婦ともどもアナーキストだったから。
震災の社会不安の中で、何かやらかすと思ったんでしょうか。でもそれにしてもあまりにあまりなひどすぎる話です。
野枝や大杉栄もまっとうな人ではないかもしれないが、この甘粕正彦も相当狂ってる。
そしてこの本は、そこで終わります。
魔子さんはどうしたのか?その後、両親がいなくなって生きていけたのか気になる。。
でも一番思うのは、当時の大日本帝国憲法下の日本は、まだまだ未成熟の国家だったということ。
だって言論の自由がまったく保障されていないから。
無政府主義者の二人の主張は、この評伝を読む限り、かなり空疎な理想論に聞こえる。政府がなく隣人の協力関係で社会が成り立つとは僕は思わない。
なので僕はその主張に賛同することはできないけど、どんな意見だってあったっていい。そうは思う。
そこを国家の統制の中で、そして震災という混乱のドサクサの中で、罪を犯していない二人をしょっぴき突然殺してしまう国家のやり方っていうのは・・・
相当間違っている。
おわりに
この本は「伊藤野枝評伝」とあるように、野枝が生まれてから甘粕事件で亡くなるまでの一生を、丹念に追ってくれてとても読みやすい1冊です。
写真もと章の冒頭に何枚か入っていて、
野枝や大杉栄の生の表情を見てとることもできる。
そして、やはりぜひ書いておきたいのが著者・栗原氏の存在。
かなり強烈な文章で読者をぐいぐい引き込む。
評伝ではありますが口語でばんばん下ネタをまき散らしながら突進していく感じは、この本があの岩波書店から出てるとは思わせない下世話ぶりです。
著者の伊藤野枝を無条件に礼賛する姿勢がどうかな?と思いはするが、それだけ野枝に思い入れがあり、情熱をもって書いていることも伝わってきます。
まあ、本なんで。
これぐらい毒気があるのがいいかと。
180p足らずで終わってしまうのであっという間に読めてしまいますが、面白い読書タイムになるかと思います。
いかがでしたでしょうか?
今日はこのへんでおしまいです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。