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伝説の”レインボースーパーざかな”

好きな本や音楽のこと、日々の暮らしを気ままにつづる雑記ブログ。

「人生で起きうる最悪なこと」を、この本を読んで考えてみた!

 

 

「自分が人を殺してしまったら・・・」

 

あなたは自首しますか?

それとも、逃げますか?

 この本は2007年、千葉県市川市で英会話学校講師、リンゼイ・アン・ホーカーさんを殺害した市橋達也受刑者の逃走の記録である。

 

市橋受刑者本人が書いているようだ。

 

市橋受刑者が無期懲役の刑が確定する前の2011年1月に幻冬舎から出版された。

刑が確定する前にこうした手記を出したということで当時、大きな話題を呼んだそうだ。(僕はこのことを知らなかった)

 

この本は、当時の事件そのものには全く触れられていない。

事件以前の市橋受刑者のことにも全く触れられていない。

 

書いてあるのは、

リンゼイさんを殺害した後、

 

自分がどう逃げ、何をしていたか。

 

その逃走中、何を感じ、何を思っていたか。

 

その2年7カ月の記録を淡々とつづっている。

なかなか特異な本だ。

 

この本を読めば、よくわかるのだが・・・。

市橋受刑者は、逃走期間の間、四国にお遍路に出かけたり、大阪のドヤ街で働いたり、沖縄のある島でサバイバル生活をしていたり。

 

僕はこの本を読んで、

その「捕まらずに生き延びよう」という姿勢の強さに驚いた。

 

そうしたこともあり、

僕にとってはいろいろな意味で、

 

興味深い本だった。

 

中高生のころ「もし誤って殺人事件に巻き込まれてしまったら、どうするのだろう?」。「もし逃走したら、時効まで逃げ切れるのだろうか?」「逃走しても、その間、周りの人間を疑い、メンタルがもたないんではないだろう?」など、僕はいろいろと考えたものだ。

 

みなさんも一度ぐらいは考えことがあるのではなかろうか?

 

そうして、

僕もいろんな本を読んでいったのだけど・・・

 

この本には、

その答えがまさにのっていた。

 

その答えとは何なのか?僕なりに感じたことをまとめいてく。

 

周囲の人々から見られている「恐怖」

逃走者の心の中を占める一番大きい感情は、、、

 

「恐怖」

 

なのだとこの市橋受刑者の独白を読んで、

理解できた。

 

彼は事件後、着のみ着のまま茨城、新潟、青森、大阪、四国、沖縄と全国各地を鉄道やバスを乗り継ぎながら逃走している。その間常に気にしているのが、警察の目、人々の目だ。ちょっとコトが起こると、「通報されるかも」「バレるかも」と恐怖の感情に支配され、その場からの逃走を繰り返し、別の場所に潜伏する。

 

例えば、彼は、大阪のドヤ街で建設現場での肉体労働でお金を稼いでいたのだが、ある日、住み込みの「飯場」に帰ってみると、おかしな黒塗りの車が止まっているのを目にする。それを見たとたん「警察かもしれない」と、その飯場には戻らず、再び逃走を始める、終始、そんな感じなのである。

 

世間のさらし者になる「恐怖」

この「恐怖」につきまとわれる生活はメンタル的にかなりきついはず。

 

にも関わらず、

彼は2年7カ月、警察に逮捕されるまで逃げ続けていた。

 

なぜ、それが可能だったのか?

 

これも「恐怖」なのだと思う。

 

それは

「世間のさらし者になる恐怖」

である。

 

彼が関西の飯場で住み込みをしながら働いていた時のこと。

仕事が終わって部屋でテレビを見ていたら、自分のことについて放送していた番組を彼はたまたま見つける。その番組では「彼が歌舞伎町のゲイの街で男相手に体を売って、お金をもらっていた」という事実無根のことを放送していたという。

 

いったい、こいつら何を言っているんだ!?

僕はそんなことしてない!

そんな所に行っていない!

たとえ生きるためだって、そんなことすぐぐらいなら僕はもうとっくに死んでる!~中略~

やっぱり犯罪者には人権などないんだと思った。逮捕された自分の姿を想像した。こんなデタラメを全国に放送されて、逮捕されれば、人は僕を奇異の目で眺め、さらしものにするだろう。刑務所でどんな目にあわされるかわからない。 

出典:「逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録」市橋達也より

 

 この気持ちはわかる。

もちろん殺人事件という大きな罪を彼自身が犯したわけだから、逮捕されれば「さらし者」になるのは当然のことである。

しかし彼は、その「さらし者」になることが耐えられなかった。

その「さらし者になる恐怖」に抗うために。

そこから永遠に逃げるために。

 

逃走した。

 

現代日本での「サバイバル生活」

誰かに見つかるのでは?という「恐怖」。

警察に捕まり世間のさらし者にはなりたくないという「恐怖」。

 

そうしたことから、

彼が選択したのが「人がいない離島」でのサバイバル生活だった。

 

彼はいつでも世間の目から逃れる隠れ蓑として、

沖縄のある離島に目をつけ、

数か月間そこで暮らしては、大阪へ上京し仕事をして。

また捕まりそうな気配を感じると、

沖縄へ戻って。

という生活を続けていた。

 

逃走中もそうなのだが、

この市橋受刑者のサバイバル能力の高さに、

正直、僕は驚いた。

 

沖縄の海で魚を釣ったり、海に潜ってウニやエビ、ナマコをとって食べたり。

植物の種を買って自分で育ててみたり。

 とにかくそのサバイバルっぷりがすごい。

 

隠れ場所に横になっていると、突然ネコがミャアミャアと鳴き出した。なんだろうと思って見にいくとヘビがいた。

島に来てヘビを見たのは初めてだった。

ナタの柄でヘビの首を押さえてスコップの刃で首を切った。首を落とす瞬間、ヘビの牙から液が垂れて地面の砂につくと、ジュッと音がした。毒ヘビだと思った。~中略~ブツ切りにして焼いて、ネコと一緒に食べた。

焼いていると、匂いにネコが興奮していた。実においしかった。

 

いやあ、

ヘビを食べておいしいって・・・。

 

そうなのかもしれないけど。

 

僕ももし同じ状況なら、

食べているのだろうか。

 

食べたらおいしいと感じるのだろうか。

 

そんなところまで追いつめられてもなお自首をせず、

逃亡生活を続けていた彼の心境は何だったのか?

 

たぶん「さらし者」になるのが怖かったのだろう、と

僕は想像するのだが。

そこまでして・・・・なぜ逃げ続けるのか??

 

まとめ

 この事件はフィクションでもなんでもなく、

悲しいことに現実に起きてしまった事件である。

 

リンゼイさんという一人の女性が、

殺されてしまったというのは非常に悼むべきことである。

 

そして、市橋受刑者の家族。

両親は医師だったようだが、この事件後、

医者を辞めている。

僕なんかでは想像つかないところで、

両親や周囲の人たちも傷ついたに違いない。

 

人を一人殺めるというのが、

どれほど人を悲しませ、

周りの人たちの境遇をも変えてしまうのか。

 

いろいろなことを考えさせる本だ。

 

その一方で、

もし自分が人を殺してしまったら・・・

 

逃亡することはできない

 

と思った。

確かに、大阪のドヤ街では素性を問われることもなく、

働くことのできる、そんなグレーゾーンの場所もあるようだ。

 

だけど人一人殺して、

その責任も取らず、永遠に逃げ続ける。

 

そんなことが続くわけがない。

 

物理的には可能かもしれない。

もしかすると時効が成立するまで、警察に見つからず、

うまく逃げ切れることもあるかもしれない。

 

だけど、

人を殺めてしまったら・・・

 

その贖罪を自らがしない限り、

殺された人も、その周囲の人も、自分も、自分の周りの人も、

 

救われない。

 

いや、たとえ贖罪したとしても、

救われることはないのかもしれない。

 

だけど、救われないとわかっていたとしても、

何かをせずにはいられない。

綺麗ごとではなく、あらゆることを考えたときに、

何かをしないとその人間は次のステップに進めないのでは?と思うのだ。

 

ということで、

この本は自分の罪ということについて、

深く、深く考えさせられる本である。

 

ちなみにこの話、あのディーン・フジオカが、

映画化にしている。

 

I am ICHIHASHI 逮捕されるまで [DVD]

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今日はこれでおしまい。

 

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