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伝説の”レインボースーパーざかな”

好きな本や音楽のこと、日々の暮らしを気ままにつづる雑記ブログ。

【おススメの本】『走ることについて語るときに僕の語ること』/村上春樹 PART2 

 

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

 

さて村上春樹さんの「走ることについて語るときに僕の語ること」、

第2弾です。

 

んんー、やっぱり名著ですよ、これは。

生きている間に絶対読んだほうがいい本ってあると思うんですけど、

これは間違いなくその一冊。

読んでない人はぜひ読んでみてください!

 

 

ちなみに前編もありますので、

読んでない人はここから読んでいただけたら幸いです。

 

morinokanata.hatenablog.com

 

この本では、走ること以外にも本の各所に

生き方について、

日本のことについて、

また教育のことについて。

村上さんのユニークな意見が盛り込まれていて、

「ハッ」とする箇所が多い。

 

村上さんは、この本を自身の「メモワール」と位置付けています。

回想録とか自伝とかそういう意味ですね。

 ハワイやボストンでの海外生活の中でのランニング、

走り始めたきっかけ、

ギリシャのアテネで初めて42キロを完走したときのこと、

北海道サロマ湖での100キロウルトラマラソンのことなど

マラソンのことについていろいろ語っています。

もちろん、これだけだと、

市民ランナーのマラソンの本と読めるのですが・・・。

 

「性に合っている」こと。あなたにはありますか?

たとえば本の中にこんなくだりがあります。

 

毎日走り続けていると言うと、そのことに感心してくれる人がいる。「ずいぶん意志が強いんですね」とときどき言われる。~中略~しかし思うのだけれど、意志が強ければなんでもできてしまう、というものではないはずだ。世の中はそれほど単純にできていない。というか正直なところ、日々走り続けることと、意志の強弱とのあいだには、相関関係はそれほどないんじゃないかという気さえする。僕がこうして20年以上走り続けていられるのは、結局は走ることが性に合っていたからだろう。

「走ることについて語るときに僕の語ること」村上春樹著

この文章の最後に「性に合う」とあります。

 

性に合うことって、みなさん明確にありますか?

 

実は、これって見つけるのがなかなか難しくて

続けてみないとわからない・・・。

みなさんいかがでしょうか?

僕はその繰り返しでした。ちなみに。

 

でも長年続けて僕なりにわかってきたのは、

「本を読む」「ランニングする」とか一人ですること。

これが性に合っているんですよねーー。

(暗い、暗いなーって思った方、僕も自覚しています ( ;∀;)

(ネクラって言われるゆえんはこういうことなんだろうな)

 僕は大人数の中で、

手を挙げて発言することはホント苦手。

アラフォーの今でも嫌いでできればしたくないことです。

でもね、

走ったり、本を読んだり、

性に合っていることは、全然苦じゃない。

そこは年を重ねるごとに線引きがより明確になっていきました。

 

こんな風にきっと「性に合っている」コトは、

自分の気持ちの赴くままに続けていれば、

自然とわかってくるんでしょうね。

でも、僕が重要だと思うのは、

その点ではありません。

そのわかった「性に合っている」コトを

大切に育てていくことなんじゃないかと。

淡々と続け、でもそれに飽きないというか。

辞めずに地味に続け、少しずつ大きくしていくこと。

これが極めて重要だと思うんです。

 

 さらに村上さんは、

その「性に合っている」ことと関連付けて

学校教育についても一言モノ申しています。

 

学校で体育の時間に、生徒全員に長距離を走らせている光景を目にするたびに、僕はいつも「気の毒になあ」と同情してしまう。走ろうという意欲のない人間に、あるいは体質的に向いていない人間に、頭ごなしに長距離を走らせるのは意味のない拷問だ。無駄な犠牲者が出ないうちに、中学生や高校生に画一的に長距離を走らせるのはやめた方がいいですよと忠告したいんだけど、まあ、そんなことを僕ごときが言っても、きっと誰も耳を貸してはくれまい。学校とはそういうところだ。学校で僕らが学ぶもっとも重要なことは、「もっとも重要なことは学校では学べない」という真理である。

 

「もっとも重要なことは学校では学べない」。

まあ、そうですよね(笑)

 

村上さんご自身はマラソンを「性に合っている」と認識されていますが、

僕が感心するのは、

村上さんがきちんと他人とのキョリを測っていること。

好きでない人には決して無理には薦めないことです。

フルマラソンを走るってかなり異常な行為ですからね~。

性に合う、合わないというのはかなりはっきりするジャンルだと思います。

 

日本の教育ってまだ画一的なのかしら? 

でも学校などの教育機関は、

とにかく均質化・画一化を求めてきますから。

どのジャンルにも一定の歩留まりを設けてきます・・・。

どれだけマルチな人間になれっていうのかな?

一人の人間を学校教育にあてはまるってそもそも無理だし、

そこに、はまる必要もないのに、

無言にあてはめようとしてくる・・・。

というか、はまった人間は評価され、

そうでない人は評価されないっていう。

これは子供心にはけっこうきついですよね。

大人のシステムってホント、エゴばっかりって思います。

 

マラソンは別に健康的ではない・・・と思うが。いかが?

この本には、もう一つ心に刺さった文章があります。

世間にはときどき、日々走っている人に向かって「そこまでして長生きをしたいかね」と嘲笑的に言う人がいる。でも思うのだけれど、長生きをしたいと思って走っている人は、実際にはそれほどいないのではないか。むしろ「たとえ長く生きなくてもいいから、少なくとも生きているうちは十全な人生を送りたい」と思って走っている人の方が、数としてはずっと多いのではないかという気がする。~中略~

与えられた個々人の限界の中で、少しでも有効に自分を燃焼させていくこと、それがランニングというものの本質だし、それはまた生きることの(そして僕にとってはまた書くことの)メタファーでもあるのだ。

 そう、やっぱり走ることって、生きることにつながっている。

「メタファー」と村上さんは言っていますが、

走ることは、人生の縮図として体験できる、

数少ないスポーツだと。ぼくもそう思うんです。

 

走ることって本格的にやるとね、けっこう不健康ですよ。

練習で20キロとか30キロとか走りますからね、

市民ランナーでも。

で、これが行き過ぎるとケガしたりして・・・。

健康的とひとことでは片付かない、悲喜こもごもがあります。

 

僕もランニングを日々の日課にしていますが、

別に長生きしたいとは微塵も思っていません。

むしろ、日々走ることで、

「どうやったら昨日の自分を超えられるか?」

短い人生の中で

「どうしたら、自分に納得した生き方ができるか?」

そんなことを考え、日々走っています。

 

まとめ

みなさんに走ったほうがいいですよと、

アナウンスするつもりはまったくありません。

 

が、この本は一読の価値あり!です。

前の記事で書いたように、

この本は、ビジネスマンにも主婦の人にも

参考になると思いますので。

 

あとほんとうにオリジナルの文体を持つ作家の人が書く文章って、

やっぱり違います。

「かみしめながら読む」という素敵な読書体験ができると思いますよ。

 

では、またね~~。

 

 

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