「会社に尊敬できる上司がいない・・・」って今だに思っていない?
「会社に尊敬する上司がいないから、働く気が失せた」
「尊敬する人がいないので、
どうやって成長していけばいいかわからない」
などなど・・・。
サラリーマン向けの雑誌なんか見ると、よく出てきますね。この手の話。
僕の会社でも尊敬できる上司って・・・・なかなかいないですねえ。
でもよーく考えてみると、そんなの当たり前じゃないかって思いません?
そもそも「尊敬できる人」なんて身近にいるんだっけ?
いや、いないっすよ。
みなさん、学生時代に先生を尊敬してましたか?
バイトしてた時に職場の先輩、尊敬していました?
(いた方は、おめでとうございます!それは素晴らしいこと)
僕は・・・別に「尊敬」はしていなかったですよねー。
物事をこういう風に考えるんだ、とか、
こうやって仕事を進めるんだ、こういう考え方でこの物事を捉えるんだとか、
いろいろ教えてもらうことはありましたよ。
それについて感謝はしてます。もちろん。
でも、それでその人のことを「尊敬」するかっていうと、ちょっとそれは別の話。
学生時代までの20云年の中で、
本当に尊敬できる人なんてどれぐらいいたのだろう・・・。
親は別として、数えてみると・・・いや、いないな。
20云年の中でもそんなのだから、
会社に入ってまだ数年のみなさん、
尊敬できる素晴らしい人なんかいなくても当たり前なわけです。
それは不幸なことでも何でもない。
「身近」でなければ尊敬できる人は山ほどいる!
そうやって自分の半径5メートル以内のところで探さなければ、
尊敬できる人なんていくらでもいますよね。
僕は本が好きだから、小説からノンフィクション、実用書まで
いろんなものを読んできました。
そうした本の作者は、現在の人であれ、過去の人であれ、
面白い心をゆさぶるようなものを書いた人は、尊敬していますよ。
よくこんなスゴイものが書けたねと。
(実生活でその人が人格者かどうかはわかりませんので、もし身近にいたら、
全然尊敬なんてできない、ということは大いにありうること。
でもそれとこれとは全く別の話。)
今を生きる日本人であれば、「独立国家のつくりかた」の坂口恭平さん、
アジアなどを舞台にノンフィクションを書く石井光太さん、
とか同年代の30代でもいますし、過去に遡り歴史上の人物にいったら・・・
キリがないのでやめておきます。
が、「尊敬できる人」というのはその人のものの考え方や、
姿勢を敬うということですから、よっぽどの強い影響を受けないと尊敬する、
というところまではいかないわけです。ふつうは。
その人のものの考え方がわかるぐらいに深くコミットする。
それは、なかなか大変なことなのです。
身近なところで探そうというのが間違っています。
人のせいにせず、「成長」や「モチベーション」は自分の責任で!
そういえば以前上司に言われたことで、
よーく覚えていることがあります。
僕も30代になりだいぶ仕事のことがわかってきた中で異動をしまして、
そこでも中堅として仕事をこなして。
ふとこんな生意気なことを上司に言ったんです。
「今の部署には、これぞ!という人はいないです。
この中で自分はどうやって成長したらいいんでしょうか?」
まったく冒頭の言葉と一緒です。
そうした中で上司が言ったのは・・・
「○○ぐらいの年になったら、成長というのは自分で勝手にしていくもんだ。
おれは知らないよん」
という言葉でした。
僕はそれを聞いたときは、一瞬なんて無責任な・・・と思いましたが、
しばらく考えてみると、そうでもないかもなと。
結局、成長のタネというのは、自分次第。
人の話をひとつ聞いたら、10理解する人もいれば、1しか理解しない人もいる。
それは「気づき」の力と自分の意欲でどうにでもなるものです。
そこを人任せにしてはいけない。
そんなことを上司の言葉から学んだ気がします。
(でもこの上司のことを尊敬まではしていません。)
ということで、
尊敬できる上司がいる人はもちろん素晴らしいことですが、
そうでない人も、別に嘆く必要なんてないんです。
明日もがんばりましょう。
またね。